最終更新日:2024-02-16
2024年1月24日水曜日、八代目儀兵衛の「お米番付 第10回記念大会」が東京銀座にて執り行われた。人が食べてその年一番“甘いお米”を選ぶ、毎年恒例のこの「お米番付」に加え、今年は就農5年以内で良食味のお米づくりを追及する生産者さんを表彰する「U-5部門」の表彰も行われた。表彰式後のトークセッション後半のテーマは「継承」。次世代のお米づくりの担い手の代表として、「U-5部門」で受賞した3名の生産者さんがお米づくりを行っていて感じる疑問を、歴代の番付受賞生産者に投げかけた。
※トークセッション前半 農林水産省副大臣 鈴木憲和さん×八代目儀兵衛代表 橋本儀兵衛はこちら
〈プロフィール〉
・歴代番付受賞生産者 森本久雄さん
就農14年目。「お米番付」今年で4度目の受賞。幼い頃から家業として続く、お米の生産と民宿を岐阜県高山市にて受け継ぐ。“どうやったらおいしいお米ができるのか”と考え自ら追究し、「飛騨高山おいしいお米プロジェクト」事務局を運営している。
・U-5部門 最優秀賞 白井涼輔さん
就農4年目、25歳。茨城県久慈郡大子町。小学生時代は学校終わりに母方祖父母のお米づくりを手伝うなど、幼い頃からお米と共に過ごす。そんな中、深刻化する後継者不足による生産者さんの減少を目の当たりにし、地域の変わりゆく景色を守りたいと思うようになった。お米を食べるのも好きだったことから、中学2年の時に将来的に就農することを決意した。
・U-5部門 優秀賞 小野寺誠さん
就農5年目。北海道新冠郡新冠町にて実家のお米づくりを引き継ぐ。30歳まで別の会社で働いていたが、父親から引退宣言された時に、農業にかけてみようと思ったことが就農のきっかけ。今年から減農薬栽培にも取り組んでいこうと考えている。
・U-5部門 優秀賞 金井慶行さん
就農5年目、29歳。群馬県沼田市にてお米づくりを行う。以前は3年間、陸上自衛隊の一員として公務に従事していた。自身が育てたお米を消費者に直接評価されるお米づくりに関心を持ち、自衛隊を離れて就農することを決意した。
Q1.白井さん「おいしいお米はどうやったらできますか?」
同じ地域で同じ生産者さんが、全く同じお米づくりを行っていても、その中の田んぼの場所によって水の流れ方や土壌の性質の違いによって、実るお米のおいしさが違うことがある。そこで白井さんは、安定的においしいお米をつくるにはどうしたらいいのだろう、という疑問を森本さんに投げかけた。
これに対し森本さんは、「稲と向き合い、稲が元々持っているものを引き出すことが大切」と答える。土壌だけでなく気候など、お米づくりに関わる全てのものが自然との付き合い。特に今年は夏の異常気象もあり、例年通りのお米づくりではうまくいかないと頭を悩ませる生産者さんも多かった。自然は都度状況が変わり、予測することは難しい。だからこそ、稲に目を向けて稲との対話を行っていくことが、おいしいお米づくりにつながると森本さんは語る。
Q2. 小野寺さん「生産者減少により増え続ける面積。“こなす”お米づくりから脱却する方法は?」
生産者さんの高齢化はこれからの日本のお米づくりで避けては通れない道。手放された田んぼを若手生産者さんが担うことで、一人当たりが抱える田んぼの面積が増えている。小野寺さんの地元である北海道新冠郡新冠町も例外ではなく、40代より若手の生産者さんが3名しかいない。年々ご自身で耕す田んぼがどんどん増えていき、就農当時に比べて現在は2倍以上の面積の30町(約300,000㎡)を耕している。お米づくりを行う経営者として、目の前にある業務を“こなす”スタイルから脱却するために何から手をつけたらいいか、と小野寺さんは頭を悩ませる。
この状況から脱却するためにまず手をつけるべきだと森本さんが挙げた項目は「経費の見える化」だった。漠然と行うのではなく毎月データ化してそれを分析することで、節約できるもの見えてくる。こうして節約できたお金を投資としてAI技術や新しい機械の導入にまわすことができる。これが結果的に、“こなす”お米づくりにゆとりを生み出すことにつながる。経営者として経費を見える化し、次の投資計画を立てていくこともおいしいお米づくりにつながる大切な業務のひとつだということが分かった。
Q3.金井さん「どうやってお米の販売先を見つけたらいいですか?」
お米の食味コンテストなどで入賞しても、販売先を見つけることができない生産者さんは少なくない。とはいえ営業のプロフェッショナルを専任で雇うほど経費の余裕はない。自身のお米を消費者さんにおいしいと言って欲しい、という思いで就農した金井さんは、販売先の新規開拓を行う方法について森本さんにうかがった。
これについて森本さんは「とびきりおいしいお米を作ることと、消費者の方に口にしてもらうきっかけを作ることが重要」と答えた。たとえば、最初は良心的な価格で試していただいたり、観光地で宿に無償提供する。そこでおいしいと感じてくださった消費者さんがファンとなり、それを増やしていくことが新規開拓につながる。全てはおいしいお米ありきだが、それを武器にファンをつけていくことで、たとえ収量が落ちても経営が成り立つ体制が出来上がると森本さんは考える。
「おいしい」と食べてくださる消費者さんがいるから
これまで日本の食事を支えてきたお米。日本で古くから実践されてきた食べ方である、“三角食べ”や“口中調味”は基本はお米ありきの食事スタイルだ。これまで継承され続けたおいしいお米を日本の文化として継承していくことが、これからのお米の未来につながる。
お米づくりは一筋縄ではいかない。森本さんも就農した当初は、お米づくりの大変さに直面し、辞めようかと考えたこともあったそうだ。しかしご自身が営む民宿で提供する自身のお米を、赤ちゃんは2杯、大人は3杯「おいしい」と言いながらいつもより2~3倍多くお米を食べている様子を見て、おいしいお米づくりが次第に楽しくなっていった。ベテラン生産者さんである森本さんも、7~8年前にやっとおいしいお米ができるノウハウが少しずつ分かり初め、最近になって一つの答えを見つけることができたそうだ。自分が作ったお米を「おいしい」と食べてくださる消費者の方がいる。おいしいお米づくりという大変で長い道のりも、その喜びがあるから続けることができるのかもしれない。
トークセッション後に開催された交流会。新規就農生産者さんと意見を交わすことによりたくさんの刺激をもらうことができた、と語るベテラン生産者さんが多くおられた。生産者さん同士の交流がお互いを高め合い、それが結果的に失われつつある日本の四季折々の美しい田園風景を守り、継承していくことにつながる。今回の「お米番付 第10回記念大会」がきっかけとなり、日本のお米のこれからを支える生産者さんが生まれることが期待される。